気田の屋台

カテゴリー │気田南宮神社大祭

春野町の気田地区で曳き廻される屋台と祭典社についての紹介です
今回は大好きな後ろ姿と横から・・・
金川地区(金勢社)
気田の屋台

この屋台の前に先代の屋台が有ったそうです
次代の屋台は、金川に来る前は、二俣の横町(又水連さん)の屋台でした
二俣の人達によると、古い写真では(3階建ての屋台)だったそうです
この当時から、2輪だったのかは不明との事です
一方、金川に来てからの屋台形状は、「現在の屋根の上にもう一つ何かがあったらしい」と言う話は大老さんから聞いたことがあります
ただし、「改修に改修を重ね現存する部分は後ろの建具のみ」との情報もあり、ハッキリしないのが現状です
以前、気田川橋のふもとには(気田商店街のアーケード)がありましたので、今の屋根に更に何かがあるとアーケードをくぐれず、気田の町に行けない事になりますから、当初から現状の屋根ではないかと推測されます
様相は、絶妙なお囃子に合わせ 2輪唐破風屋台特有の 独特な動きが見物衆を魅了する

篠原地区(八王社)
気田の屋台

初代の屋台は4輪掛塚式屋台でしたが、住民の総意により2代目が建造される
世帯数の少ない中、少人数でこの屋台を山腹に鎮座する(八王神社)まで曳き上げる
様相は、夜になると気田の商店街に屋台を曳き入れ、多くの若衆により盛大な屋台さばきを披露してくれる 特に、2輪屋台の「もどせ」は何とも言えない雰囲気を醸し出す

上区(祭典上組)
気田の屋台



この屋台の前に先代屋台が存在した
現在の屋台より、先代の屋台はもう少し横幅が広かったそうです
金勢社を除く気田地区の屋台は、全て複数の地元の大工さんが手掛けている
気田地区の大工さんは器用な人が多いらしく、全て精巧な造りとなっている
鬼板の亀割小僧は有名で、数年前に美装と彫金を施し、一層煌びやかな屋台となった
様相は、地区が街中心部に位置し、4輪屋台とは思えない程の豪快な屋台練りが 「これぞ気田の祭り」 と自慢できる祭り馬鹿達の多い祭典社です

下・中区(中栄社)
気田の屋台

先代の屋台は4輪固定式の高欄型屋台(現在は磐田市内に健在)
この屋台は南宮神社の御神木を使用し建造され、彫刻もふんだんに施し、当時の繁栄ぶりを見ることが出来る
祭典社の構成人数も地区一番で、浜松方面からの参加者も多い
昔から笛師(師匠)が多く、弟子を育て気田や他地区の祭りに貢献する
様相は、昼夜関係なく豪快な屋台練りを披露してくれ、賑やかさは地区一番 ・ 中老さん達の人数も多く、会所での どんちゃん騒ぎ は気田の祭りでの風物詩の一つでもある


仇山地区(山栄社)
すみません・写真が消滅してしまいました

先代の屋台も2輪であったが、祭典時は地元のみを曳き廻し気田には曳いてこなかった
理由は解らないが、現在の屋台建造を期に気田の神輿渡御にも同行する
山栄社の屋台は、地元 仇山の山から良質な檜を住民が自ら切り出し、上区にある製材所で これまた住民自ら引き割り、材料の磨きをこれまた住民が行い、仇山在住の大工さんが 刻み組み込み建造された屋台です
精巧に組まれた組斗は大変美しく、地区自慢の屋台で、2輪の面白さか浜北方面からの参加者が多く、祭りに華を添えてくれる
様相は、どこにこんな若い衆が居たか と思うほどで、2輪屋台特有の元気な屋台道中で気田の商店街の道路に ギザギザの轍跡を残す

平木地区(八幡連)
気田の屋台



先代の屋台は4輪固定式の高欄屋台
豪快に引き摺り廻す屋台さばきは子供心にワクワクしたのを覚えています
2輪の新屋台になってからも豪快さは変わらず、若い衆が多いのもうなずける
最終日の屋台に随行する おでん屋台 は有名で、出汁がしみ込んだ逸品を提供してくれる
様相は、御簾脇の彫刻が素晴らしく、跳高欄の鉄炮提灯が独特で屋台進行が止まっても、常に上下・左右に屋台が動いている元気な祭典社である








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